届かない青空に手をのばして

自閉症スペクトラムの息子とシングルマザーの日々のこと

当たり前のことに感謝

このところ

以前と同じように生活できなくなり

当たり前だと思っていたことが

有り難いことだったのだと

気付かされました。

 

ニュースの中だけの出来事だと

思い込んでいたことが

身の回りで起こったり。

 

また今度ねと言っていたのに

「今度」はもう二度とやって来ない

ことになったり。

 

人生何が起こるか分からないと

離婚した時に思い知ったはずなのに。

そんな教訓も

時間が過ぎると薄れてしまっていました。

 

小さなことにも

当たり前のことにも

感謝を忘れずに

生活していきたいと思います。

オムツはずれ

発達障害の子は

オムツはずれが遅いと聞きますが

息子もなかなかオムツが取れませんでした。

 

声をかけると

おまるでおしっこをすることはできますが

自分からトイレには行けず。

 

怒ってはいけないと分かっていても

他の子と比べて焦ってしまいました。

 

ご褒美作戦を決行しても

あまり効果はなかったように思います。

 

結局、楽しくオムツはずれにはならず

3歳7か月頃にオムツを

はかなくはなったけれど

その後はパンツに漏らしている状態でした。

 

漏らす頻度は減っていきましたが

保育園卒園までなくなることは

ありませんでした。

 

小学生になったら着替えもないし

どうしたらいいのか悩んでいましたが

小学生になったとたん、漏らすことが

ピタリとなくなりました。

意識の問題だったのでしょうか。

 

しかし、夜のオムツは

小学生になった今でも

はずれていません。

そして、夜尿症と診断され

治療を開始しました。

まだまだおしっこの悩みは続きそうです。

青へのこだわり

こだわりの強い息子ですが

一番最初に感じたこだわりの強さは

色に対してでした。

 

クレヨンも折り紙も青

洋服や持ち物も青

習い事で座る椅子も青

お祭りのくじ引きの景品も青

 

青がいいというより

青でないと嫌だ

青でないと拒絶する感じでした。

 

3歳頃から青色へのこだわりが

どんどん強くなっていくのを

感じました。

 

クレヨンや折り紙は

青色ばかり減るので

単色で買っていました。

 

洋服や持ち物は

とにかく青色ばかり揃えました。

 

習い事の時は

青色の椅子に座れないと

隣の部屋から持ってきました。

 

お祭りのくじ引きの景品は

青色が当たったお友達に

交換してもらいました。

 

解決できることばかりではないので

「青だと嬉しいよね。

でも、青でなくても頑張れるよ!

大丈夫だよ!」

と呪文のように

何度も何度も言い聞かせました。

 

今でも青色が一番好きですが

だんだんと青色でなくても

我慢できるようになり

ほっとしています。

登園時の別れ際

朝、保育園に到着して

したくが終わっても

息子は私と離れられず。

 

後から来た親子達がしたくを終えて

どんどんバイバイしていきます。

私もその波に乗りたくても

全く離れない息子。

 

見かねた先生が抱っこしてくれると

少しは落ち着く日と

それでも泣き続ける日と。

息子を無理矢理引きはがして

出勤する日がほとんどでした。

 

息子の泣き顔が頭から離れず

罪悪感で心が埋め尽くされ

それでも働かない選択肢はないので

暗い気持ちで仕事に向かっていました。

 

他の子と比べてはいけないと思っても

自分でしたくを済ませ

行ってらっしゃいと笑顔で

お母さんを見送っている子達が

とても眩しく見えてしまいました。

 

小学生になった今でも

朝はなかなか離れられません。

息子にとって

私と離れて集団の中へ入っていくことは

不安が大きいのだと思います。

 

怒るのではなく

優しく見守ろうと思っても

朝は毎日慌ただしくて

なかなか穏やかではいられません。

 

今となっては私もだいぶ慣れましたが

他の子の様子を見てしまうと

やはり複雑な気持ちです。

 

2ヵ所目の保育園

年度途中での転園希望は叶わず

1年間は最初の保育園に通いました。

 

最初の保育園では

親子共々、本当に辛い状況でした。

 

2ヵ所目の保育園はとにかく明るくて

入園説明会や入園式の雰囲気も全く違い

温かさを感じました。

 

慣らし保育も3日で終わり

先生からひたすら怒られるのではなく

今後のことは

一緒に考えていきましょうと

言ってくれました。

 

息子が発達障害だと指摘された時

2ヵ所目の保育園にも

不信感を抱きましたが

最初の保育園の対応に比べたら

耐えられるものでした。

 

2ヵ所目の保育園に通い始めて

息子が言いました。

「新しい保育園はもう怖くないね」

 

この言葉を聞いて

転園して本当に良かったと思いました。

 

転園することに対して

かなり悩みましたが

行動を起こしたことは

無駄ではありませんでした。

 

その後も転園したいと思うこともなく

息子から涙ながらの訴えもなく

親子で登園拒否になることもなく

卒園まで無事に通うことができました。

転園決意

先生は軽く叩いている

もしくは触れているだけのつもりでも

息子にとっては

ぶたれたと感じていました。

 

大げさだと笑われるかもしれない

他の保育園でも

同じような状況かもしれない

 

しかし、息子は確実に傷付いていました。

何とかしないと

どんどん時間が過ぎていき

息子の傷も深くなり

取り返しのつかないことに

なるかもしれないと焦ります。

 

保育園の先生と話をしても

何も解決しなかったので

市役所まで相談に行きました。

 

保育園のことを告げ口するようで

躊躇しましたが

行動を起こさないと

状況は何も変わりません。

 

市役所の職員の方は

私の話をよく聞いてくれ

園長先生が変わらない限り

環境は変わらないと思いますと

話していました。

 

そこで、その場で転園希望の申し込みを

することになりました。

 

あんなに悩んで決めた保育園なのに

あの悩んでいた時間は何だったのか。

 

またあの大変な慣らし保育を

始めなければいけないのか。

今度は仕事をしながらの慣らし保育なので

とても不安でした。

 

発達障害の子でなかったら

あのまま通えていたのかもしれない

 

先生から注意されることも少なく

2ヵ所目の保育園ほどではないにしても

最初の保育園でも

楽しい保育園生活だったかもしれない

 

あんなに悩んだり調べたり

仕事に遅れたり早退して

保育園や市役所と相談することも

なかったかもしれない

 

今さらあの日々を思い出しても

仕方のないことだと

分かってはいても

感情が止まらなくなってしまう時が

あります。

息子の訴え

保育園に行きたくない気持ちで

いっぱいの私でしたが

息子も同じです。

 

先生にぶたれるから

保育園には行きたくないと

息子が訴えてきました。

 

毎日、先生から息子のことで注意され

息子に対して困っている様子でしたが

まさか先生がぶつとは思わず

我が子の言葉を信じたくても

信じられませんでした。

 

そこで、同じクラスの子のお母さんにも

確認してみましたが

ぶたれるなんて話は聞かないと

言っていました。

 

お迎え時に、先生が子供達の体を

ペンペンと叩いている様子は

私も何度か目にしていました。

子供達は何事もなく過ごしています。

 

息子が敏感なだけかもしれない。

 

しかし、毎日毎日

「何々先生がぶつ。」

「ぶっちゃダメだよね?」と

涙ながらに訴える息子。

 

まだ言葉を覚えたての1歳の子が

しくしくと涙を流し

必死に訴えます。

 

先生から怒られてばかりではいられない

私からもきちんと

先生と話をしようと思いました。

 

先生に状況を説明すると

ぶってるのではなくて

軽く叩いているだけですとのこと。

 

認めないのかと思っていましたが

あっけらかんと叩いていると

言っていました。

 

他の保育士も叩いてます

他の子にも叩いてます

とさらに続きます。

 

保育園に対して抱いていた不信感を

今まで必死に抑え込み耐えてきました。

しかし、この言葉で

もうこの保育園にはいられない

そう思いました。